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トンガ -17日目-


この日は、トンガにハリケーンが。
そんなに大きな台風ではなかったけど。

村の民家では、ハリケーンがくると事前にわかっておきながら、わざわざ大雨強風の中、家の補強作業が行われる。

窓の外側から雨戸代わりに、金属性の薄い板を釘と金槌で打ちつける。
大雨の日は、フィジーの村でもそれと同じような感じだったけど。

そして、その大雨強風の中、ロトゥのいとこのフェフェタがラグビー姿で家に入ってきた。
だから、まさかと思って、

「ハリケーンの中、ラグビー?」
「もちろん、ラグビー。トンガ人は雨の中でラグビーするのが好きなんだ。」
「まぁ、浅い水たまりに飛び込んで滑ったりできるしね。けど、わざわざ台風の日にやらなくても…」

宿のおじさんベンもそうだったが、基本的にトンガの人は雨が好きだ。
そういうわけで、わざわざハリケーン到来後の大雨の中、ずぶぬれになりながら家の補強作業に取りかかるのだろう。

防水ではないデジカメを平気で水中で使ってるような人たちだから、雨に濡れたら嫌なモノなどそれほどないのだろうし。
雨嫌いの僕としては、その感覚が少しうらやましい気もする。

当然、電気は停電で使えなくなるので、この日はロウソクの夜。

一つロトゥ家に聞きたいことがあったから、改めて聞いてみた。

「日本に七年間住んで、日本での生活にはあって今いるトンガでの生活にはないモノってたくさんあると思うんだけど、もし、日本のモノを一つトンガに持ってこれるとしたら何がいい?例えば、電子レンジでもいいし、ホットシャワーでもいいし、きれいなトイレでもいいし。コンビニでもいいし、食べ物でも何でもいいから一つ。」
「ん〜そうだなぁ、何もいらないなぁ。奥さんと子供がいればそれでいい。それが一番いい。」
「そっか。まぁ、その言葉を聞きたかったから聞いてみたんだけど。」

日本には日本の幸せ、ここにはここの幸せ。

彼らと生活を共にしていると、心から支えあえるモノさえあれば人は十分に幸せを感じられるものなのではないかと、どうしても僕は思ってしまう。
もちろん、生きるのに必要な量の食べ物があってこそのことだが。

全ての人がそうであるわけではないが、日本の生活に関して言えば、忙しすぎる生活がたまにそれを忘れさせてしまう。

便利さの追求と幸せの追求は、全く別の問題。
たまに同じ時もあるが、夢の実現もたぶん別の問題。

モノがなかろうが、モノであふれようが、情報が少ない社会を生きようが、情報で飽和した社会を生きようが、夢を追いかけようが、夢をあきらめようが、将来行き着く幸せの場所だけは見失ってはいけない気がする。

この村にある、素朴で当たり前の確かな幸せ。
それも、一つのわかりやすい幸せのカタチだと、僕は思う。

ただ、忘れてはいけない。
十分な食べ物も住む環境さえもろくにないような人たちがたくさんいるというのも、世の中にある目をつぶってはいけない事実。

2011/1/25