18歳の時から今まで、時々思っていた一つの疑問として。
朝日が昇る頃に目を覚まして、おなかが空いたらご飯を食べて、日が沈んで眠くなった頃に眠る。
空を見上げたら、ただ青空か星空があって、人々と語らうための十分な時間もあって。
ただそれだけの生活で僕は満足できないのだろうか。
僕たちの欲望にはおそらく終わりがないから、それが実践できるのであれば、それはそれで幸せなのではないか。
何かと便利な日本の社会で生まれ育った僕は、何か大切な価値観を見落としていないだろうか。
それを僕は頭の中のイメージとして終わらせるのではなく、直接得た体験として感じたかった。
だから、今さらこうして、ほぼ自給自足の素朴な生活をしている国の小さな村で、村人たちと同じようにただ緩やかな時間を共に過ごしているのかもしれない。
確かに、日本には住みやすい生活環境もあれば、安全な社会規律もある。
それは決して悪いことじゃない。
人間誰しも、可能であればそれを望むのだろうとも思う。
都会にいれば、野菜を育てなくても家畜を育てなくても、スーパーやコンビニに行けば食べ物が何でも手にはいるし、洗濯も全て手洗いでする必要はないし、ましてや食事の度に火をおこす必要もない。
ただその便利さは、知らないうちに僕たちからたくさんのことを忘れさせている気がする。
発展すること自体、何も悪いことではないと思う。
それが僕たちから何か大切なものを損なわせるような結果にならなければ。
かつて自然ともっと共存していた頃にあった質素な生活の中にある苦労を、先進国の都会に住む人間はたまに思い出すべきだと思う。
その上で、向かうべき発展の方向に向かえばいい。
当たり前だと思っていること、そのほとんどは決して当たり前のことではない。
2011/2/4