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taken by yonekura junshi

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トンガ -1日目-

トンガは世界で一番最初に日の出を迎える国。

午後六時頃、トンガに到着。
早速、空港で円をT$に両替。
そんなに悪いレートではなかったので、とりあえず一万円だけ両替。
でも、受け取った額は僕が計算したのよりもT$50も少なかった。
金を騙しとろうとする人間もたまにはいるが、ただの数え間違いも同じくらいよくあること。
トンガ人は数の計算が苦手だ。(トンガ滞在中、度々そう感じた。)
レートを再確認した後、改めて正しいT$を受け取った。
そして、ついでに一つだけ言葉を教わった。
「ありがとうってトンガで何ていうの?」
「マロだよ。トンガは初めてか?よい旅を。」
「マロ。」

空港の前にいるゲストハウスとホテルの客引きの中から、一番安い宿を探して、とりあえず一時はそこに泊まることに。

今回のトンガ旅は思わぬハプニングがあって、超超貧乏旅行。
実は、一日平均¥600の予算。笑
もしもの時には木の上でも寝る覚悟で。

そういうわけで、今回は超超貧乏な旅を。

2011/1/8

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トンガ -2日目-


今日は日曜日。
トンガでは基本的に日曜に働くことを禁止している。
だから、国民のほとんどが教会にいくだけだ。
店は一部を除いてほとんど開いてないし、バスもタクシーも走ってない。
そして、外はあいにくの雨。
オセアニア一帯は、すでに雨期だから仕方がないか。

ゲストハウスにたまたま居合わせたブラジル人たちと、やることねぇ。だの、つまらねぇ。だの、ぶつぶつ言いながら最初の日曜日を過ごした。
次の日曜は、賛美歌を聴きに教会にでもいくことにしよう。

夜は他の旅行客とトンガのカヴァを。
フィジーのカヴァとは収穫時期が違うらしく、だいぶ飲みやすいカヴァだった。

2011/1/9

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トンガ -3日目-


今日も天気は雨。
朝起きて、予算をざっと計算したところ、このままいくと僕は二週間程で破産してしまうということに気づく。
というわけで、さらに安い宿を探すため、その朝のうちにチェックアウト。
ネイティブスピーカーがたくさんいるゲストハウスだったため、英語の勉強をするにはいい環境だったが、それは今回の第一目的ではないので、とりあえず考えないことに。

チェックアウト後、トンガの情報を集めに町へと向かう。

当初、離島への移動も考えていたが、以外にフェリーチケットが高かったので断念。
加えて、町の中に安い宿も見つけられなかった。

というわけで、町から出て、島のはじっこのコロバイという村へ。
その村の近く、海沿いに安い宿があるらしい。
バスで40分ほど、コロバイ村に到着。

そこから、重い荷物を背負ってひたすら浜辺へと歩く。
その道が正しいのかどうかもわからない中、ただひたすら歩く。
途中、ちびっ子に水鉄砲で撃たれたり、チャイニーズと言われて指をさされたり。
大雨の中、水たまりの中に飛び込んで遊んでいる子供たちをみながら、日本で生まれ育つ子供たちのことについて少し考えたり。

20分後、無事宿に到着。
そして、早速宿代を安くしてもらうため交渉。
結局、最終的に日本円で一泊約¥600で落ち着いた。
まぁ、それでも破産の道は変わらない。
とりあえず一週間だけ滞在してその間に他の策を練ることに。

安宿とはいっても、目の前には真っ白な砂浜とほぼ180度の水平線が広がる。
そして、豊かな珊瑚とたくさんの種類の色鮮やかな魚たち。
昼時になると、地元のトンガ人がBBQにやってくるが、それ以外はオフシーズンで他に観光客は誰一人いない。
正直、一人旅にはもったいないロケーションだ。

ビーチを散歩していると、子豚を二匹丸焼きにしていた一団が一緒にご飯を食べようと、僕を手招き。
ホウマという村からの大家族。
約一時間かけてこんがりに焼かれた子豚が鉈で切り分けられ、一人一人の紙皿に配られる。
村から持参されていた調理済みのキャッサバとチキンも、ありがたくいただいた。

今日も一日、様々な出会いと人々の無償の優しさに感謝。

2011/1/10

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トンガ -4日目-


朝起きて、歩いて村へと向かう。
最近ひどく栄養が偏ってきているため、果物を買いたかった。
けど、結局果物が売っている場所を見つけられず。
非常食用にクラッカーだけ買った。

村からの帰り道。
果物が買えなかった代わりに、ココナッツを一つ拾った。
ココナッツの栄養成分が何なのかは知らないが、多分雨水よりかは多少体にいいだろう。
途中、一台のトラックの運転手が僕に声をかける。
日本語が上手だったので、この先は日本語混じりの片言の日英会話。

「日本人か?後ろ乗っていいよ。」
「ありがとう。」
といいつつ、乗車。
「ここで何してんの?どこ泊まってる?」
「海の近く。一ヶ月くらいトンガにいる予定。ラグビー選手?」
「そうだよ。前に日本いた。埼玉。日本のどこからきた?」
「鹿児島から。」
「鹿児島かよぉ。なんだよ、遠いなぁ。一人か?女連れてきてるか?」
「一人だよ。ってか日本語うまいね。」
「当たり前だろぉ、七年日本いた。英語好きか?」
「勉強中。でも日本語で話したそうだから、今は俺も日本語で話してる。」
「そうか。ここ安い?ここにはいつまでいるの?」
「一泊T$13くらい。とりあえず、ここには一週間。けど、フィジーで三万円盗まれたから、今はあんまりお金使いたくなくて。どこ住んでるの?いっとき泊めてよ。笑」
「いいよ。子供も二人いるけど、うち大丈夫。日本では何やってた?」
というわけで、来週からは彼が住む近くの村でお世話になることに。
「東京で美容師。広尾とか六本木とか青山とかその辺。」
「六本木かよぉ!しってるよ、よくクラブいってた。」
「そっか。とりあえず日本に帰ったら、お礼に日本の食べ物なんか送るよ。納豆でいい?」
「納豆いらねーよ。あいつくせーよ。」

正午過ぎ、昨日に引き続きたくさんの人々が浜辺でBBQを。
ある家族が豚を一匹焼いていたので、その光景を写真に撮らせてもらった。
そして、そのままご飯も一緒に。
今日はBBQのお礼に、トンガ人とオーストラリア人のヘアカット。

フィジーの学生寮でお金は盗まれたけど、ハサミとカメラが無事でよかったと、常々思う。

夜は夜勤のおじさんベンと世間話を。
ここら一帯はオフシーズンなので、夜の時間は僕とベン以外誰一人としていない。
トンガについて、宗教について、自然環境について。
そして、トンガ語と日本語の教え合い。

雨が強くなりだした頃、九時くらいに部屋に戻った。

英語圏を旅する上で、英語でのコミュニケーションは確かに必要だ。
けど、現地のローカルな生活を知るために、英語を話せない現地の人々と現地の言葉を交えて身振り手振りでコミュニケーションをとることも、大切なことの一つだと僕は思う。

旅する人の姿勢によって、訪ねた国の印象は大きく変わる。

僕は今、観光客としての目線ではなく、現地に生きる人々と同じ目線で異国を旅したいだけ。
そして、ただ一人の人間として、そういう体験から得られる何かに、少し興味があるだけ。


2011/1/11

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トンガ -5日目-

今日は、朝からベンの家にご飯を食べに。
僕が滞在している宿から最寄りにある村、コロバイ。
ベンは、幼い頃からずっと、その村に住んでいる。

コロバイ到着後、ベンの家のあたりを少しぶらぶら。
そして、ベンの妻と娘さんとともに食事の支度を。

釜に火をおこすため、ベンが鉈をぶんぶん振り回して枝を手頃な長さに切ってる最中、ベンの孫の二歳児が、その鉈に向かって枝を振り回して遊んでいた。
正直、子供の体すれすれに鉈が扱われているので、みているこっちが冷や冷や。
むしろ、最終的に飛び散った枝で頭をケガして、ちびっ子はわんわん泣いていたし。
まぁ、子供というものは、元々そうやって直接痛みを経験して、物事の分別をつけていくものなのだろう。

今日は遅めのランチに、トンガ風チキンカレーをいただいた。
そして少し休んだ後、二人で歩いて宿まで帰った。

夜遅い時間、いつものようにベンが僕のところにやってきた。

「ジュンシ、寝てるのか?」
「起きてるよ。英語の勉強してた。どうした?」
「水あるか?」
「少しだけしかない。だから、雨がふるの待ってる。」
雨水をためたタンクからの水道もあるが、個人的に、直接ペットボトルに貯めた雨水の方がおいしい気がする。
「そうか。俺もシャワーを浴びたいから、雨をまってる。雨は好きか?」
毎晩、ベンは雨がふるのを待って、それをシャワーの代わりにする。
「僕は、あんまり雨好きじゃない。でも、その雨のおかげでこの国の人たちは十分な食料を作れるんだろうね。」
「そうだな。何を言ってるんだかよくわからないが、まぁ、雨が降りだすまで俺と話をしよう。」
という感じで、毎晩世間話が始まる。
「トンガ人はタバコ吸う人多いね。けど、体に悪いからタバコはやめた方がいいよ。ベンも肺ガンになるよ。」
「タバコは俺のパワーだ。それに、俺はまじめなクリスチャンだから、酒も全然飲まないし。タバコよりも神の方が力をもってるから、大丈夫。」
「そっか。ってか、最近クリスチャンの人と知り合うことが多いから、少しキリスト教の人たちの考え方に興味がでてきたんだけど。」
「そうか。いろんな宗派があるしな。似ているものもあれば、全然違うものもあるし。今度の日曜は何してるんだ。暇なら、俺の村の教会にきたらどうだ?」
「ありがと。けど今度の日曜は、朝から他の村の人と教会にいく約束したから、そこにいく。ベンのとこは、お昼に行けそうだったらいくよ。」
「そうか。」
そして、急に即興で歌を歌い出すベン。
「雨よ、どこにも行くな。俺はここでおまえを待ってる。早くふれ。×2」
「何、その歌?自分で作ったっしょ?変な歌。」
そして、数分後、拾ってきたココナッツを二人で飲んでるうちに雨が降ってきたので解散。

この島にきてからというもの、毎日雨ばっかり。
そろそろ、この国の青空か星空をみてみたい。

2011/1/12

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トンガ -6日目-


今日は昼間から天気がよくなかったということもあり、朝少し泳いだ後は、部屋にこもってひたすら英語の勉強。
一昨日ビーチで、オーストラリア人の女の子の髪を切った時、聞き取れない会話が多々あったし。

一日の生活費が¥600かそこらででなんとかなる国で、英語の勉強に時間を費やすことは、物価の高い日本で勉強をするよりもコスト面ではとても利口なことだと、勝手に思っている。
だって、日本にいるとただ自分がそこに存在するだけでもたくさんのお金が必要だ。
生活費、交際費、諸税金など。
まぁ、それ以上にたくさん稼げばいいのだろうけど。
僕が思うに、たいがいの人々は働きすぎて、時間というものの大切さを失っている気がする。
家族と過ごす時間、休む時間、そして自分と向き合う時間。

夕方頃、僕が部屋から全く出てこないのを心配してか、ゲストハウスのスタッフの女の子がバターを塗ったパンを僕のとこに差し入れ。
それを今夜の晩ご飯代わりに。

夜、ベンが僕のところにやってきて、
「ジュン、さっきのメガネ貸してくれ。」
さっきのメガネとは、僕が泳ぐときに使っていた水中ゴーグルのこと。
「いいよ。はい。けど、こんな時間に何に使うの?」
そして、おもむろにゴーグルをかけたベンが、何やら細かな字でかかれた聖書を取り出す。
「ベン、それメガネと違うから。それは水中用の水防ぐためのやつ。多分、意味ないよ。」
「おぉ。全く意味ないな。残念。」

何となく夜の雲が、少しずつ薄くなってきているような気がする。
そろそろ、トンガの空をみることができるだろうか。

2011/1/13

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トンガ -7日目-


昨晩は雨が少ししかふらなかった。
そのせいで、僕の飲み水用のペットボトルは空っぽのまま。

お昼過ぎ、ぎりぎりまで雨が降るのを待ってはみたものの、ついに耐えきれなくなり飲み物を買いに近くの村まで歩くことに。

中国人経営のキオスクで、少し割高ではあったが、僕はコーラを買ってしまった。
ちなみに、トンガでは至る所で中国人経営のキオスクが目に付く。
建物は全て頑丈な柵で囲まれていて、外観はそれほどよろしくない。
中国人とトンガ人の関係が悪いことも、それと多少は関係しているのだろう。
僕がこの国の田舎道を歩く上でまず最初に学んだことは、トンガ人と初対面の挨拶をした後は、何よりも先に自分が日本人であるということを伝えるということだ。

その帰り道、村の少年たち六人組とすれ違った。
その中の一人の男の子が、僕が手にぶら下げていたコーラを欲しがったので、僕は彼にそれを渡した。
仕方のないことではあるが、少年たちに回し飲みされている間に僕のコーラはほとんどなくなってしまった。

そして、今日もいつも通り夕方ベンが僕のところにやってきて、

「ジュン、俺は腹が減った。昼から何も食べてないんだ。何か食い物持ってないか?」
「パンが少しだけ、けど二人で食べるには足りないかも。魚でも捕まえる?それともココナッツか何か探しに行く?」
「魚は道具がないから今は無理だ。ココナッツにしよう。」
そういう訳で、晩ご飯のために二人でココナッツを取りにいくことに。
とはいっても、至る所にココナッツの木は生えているので、その中からそれほど高さのない木を近場で探すだけ。

現地の若い男性は木によじ登ってココナッツをとったりもするが、ベンはもう年なので、長い棒でココナッツを突っついて落とす。
僕も以前、ココナッツをとろうと一度裸足で木に登ってみたことはあるが、足の裏が痛くなって途中であきらめた。

「そろそろ十分なんじゃない?もう八個もあるよ?」
「足りるか?じゃぁ、そろそろいこう。」

ココナッツだけの食卓。
正直、三個目のココナッツで僕はもう食べ飽きてしまった。
ココナッツのあの白いゼリー状の物質を、晩ご飯の代わりに食べることがあろうとは。
飲みきれなかったココナッツの汁は、ペットボトルに移してジュース代わりに。
ココナッツの器からペットボトルに移し変えると、ちょっと変わった味のポカリスエットのようにも見えてくる。

「ここには月曜までだよな?来週からはどこに行くんだ?」
「隣の隣のそのまた隣の村、何だっけ、村の名前は忘れちゃったけど、その村に一時滞在する予定。フィリピーネっていう名前の、元ラグビー選手の。知ってる?」
「知ってるよ。よく知ってる。昔よくこの浜辺で一緒にラグビーをしてた。知ってるか?奥さんは俺の村の出身なんだ。どこで知り合ったんだ?日本にいるときか?」
「いや、そこらへんで、偶然。一つ質問なんだけど、泊まらせてもらうお礼に食べ物かなんか持っていこうと思ってるんだけど、何がいい?」
「なんでそんなものを持ってくんだ?」
「いや、だからお礼として。」
「トンガではそんなものいらないよ。心の中で感謝しとけばいい。神様が全部みて知ってるから。大丈夫だ。」
「それがトンガスタイル?」
「そう、トンガスタイル。」
「んじゃ、ジャパニスタイルで何かフルーツでも買っていく。」

今までそれほど多くの外国を歩いた経験がないせいもあり、どうしても宗教観の違いについて考えることが多くある。
発展途上国の旅となると、なおさらそういうものなのだろうか。

まぁ、何をするにも、とりあえずは死なない程度に。

2011/1/14

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トンガ -8日目-

たまに土砂降りになったりもするが、少しずつ晴れ間がみえるようになってきた。

そして、今日は土曜日ということもあり、異常なくらいのトンガ人が浜辺でピクニック。
300人近くはいただろうか。
おかげ様でご飯には困りませんでしたが。
ただ、ちびっ子があまりにもチャイニーズチャイニーズとうるさいくらい言ってくるので、とりあえずそんなちびっ子には、ファッキュー、といって一言ですませることにした。

雨水の飲み過ぎのせいか、ココナッツの食べ過ぎのせいか、朝から腹が痛い。

2011/1/15

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トンガ -9日目-


今日から滞在先を海辺にある安宿から、テイキュウという村にあるフィリピーネ家に移動。

先週、偶然道ばたで出会ったトンガ人は、2007年ラグビーワールドカップのトンガ代表で、日本のIBMで二、三年前までプレイしていたフィリピーネという選手。
日本人でもラグビーに詳しい人は、知ってる人がいるかもしれない。

幸いなことにも、東京とトンガの生活を比較して、個人的に興味があることがいくつかあったから、今の僕にとっては丁度いい巡り合わせだった。

トンガの人々が日本の都会で暮らしてみてどう思ったのか。
そして、トンガに帰ってきた今、その暮らしぶりに関してどう思っているのか。

日本で生まれ育った僕が考えること、トンガで生まれ育った彼らが考えること、その間には様々な相違があるだろう。
それがどのようなものであるか、僕は今回その部分に少しだけふれてみたいと思う。

この一家と共にトンガ速度の時間を過ごしながら。

2011/1/17

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トンガ -10日目-


最近はロトゥの家庭で、毎日お腹が痛くなるくらいの量のご飯を食べさせてもらっている。
それも、食事の量を減らしてほしいんだけど…といってしまったくらいたくさんの量。
まぁ、そう頼んだところであんまり意味はなく、むしろどちらかといえば、お前は細いからもっと食わなきゃだめだといわれて、日々食事の量は増えていますが。

トンガにくる前は貧乏旅行の予定だったから、一ヶ月で美容師時代の体重(50キロ以下)くらいに減るんじゃないかと予想していた。
けど、このままいくと入国前よりも5キロくらい体重増でトンガをでることになるかもしれない。

まぁ、それはそれで、僕の中でトンガ人の国民性をわかりやすくとらえた思い出の一つになる。

2011/1/18

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トンガ -11日目-


当たり前のようにのんびりとした村での生活。

朝、村を歩けば、豚と犬が追いかけっこをしていたり、木陰で豚と犬と鶏が添い寝をしていたり。
日中、ソファーで昼寝をしていたら、山羊がバタバタと家の中を通り過ぎていったり。猫が、鳥やネズミをくわえて部屋に飛び込んできたり。
夜中、突然猫が窓からはいってきて、足下で丸くなって寝てしまったり。

女の人は家の中で子守をしたり食事を作ったり、一日中ハンドクラフト製品を作っていたり。
幼い子供たちは村を駆け回り、男の人は農業へ。

そんな村での日常の中、僕はというと、村の人々の髪を切ったり、ベビーシッターをしたり。
ぶらぶらと村を散歩して写真を撮ったり、浜辺にカニを捕まえにいったり。
教会にいったり、ローカルバスで町にいったり。

長い人生の中の、ある一時期の生き方の一つとして、こういう場所での生活に少しの間身をおくのも悪くはない気がする。

心と体が自由なうちにいろんな土地に身をおいて、いろんな形の生活と様々な形の幸せを知るのもいい。

その経験から、自分流の新しい生活スタイルを。

流されすぎずに、けど、自由になりすぎずに。

しがらみの中の安定をとるか、不安定の中の自由をとるか。

ただ僕は、自分流の生き方を自分の速度で進みたいだけ。
自分の心が思うままに生きたいだけ。

2011/1/19

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トンガ -12日目-


アジア、オセアニアの小旅のきっかけの一つ。
それは、アジア・オセアニアの環境下での自給自足の生活について、個人的に関心があったから。

それを知る課程で、ずっと未来の自分の生活スタイルとして、僕自身が日本もしくは近隣諸国で自給自足の生活をすることができるかどうか。
そのことにについて一度じっくり考えてみたいと思っていた。

実際にそこでの生活に自分の身をおいてみると、国ごとの独特の文化、絶対的な自然環境、個人的な自分の人間力。
その他諸々、様々な問題がでてくる。

自分が生まれ育った鹿児島にある離島の人々の半自給自足の暮らし。
今いるオセアニアという環境下でのほぼ自給自足の人々の暮らし。

とりあえず今いるトンガでは、

・海
魚、蟹、貝などが簡単に捕まえられる。

・道端
ココナッツ、アボカド、バナナ、プレッドフルーツなど、様々な食べ物がそこら中の木にぶら下がっている。
木からライムを摘み取って砂糖を混ぜてジュースも作れるし、レモンリーフを摘み取ってレモンティーも作れる。

・農地
サツマイモ、タマネギ、すいか、かぼちゃ、トマト、ピーマン、キャッサバ、今確認したのはそれくらい。

・家畜
牛、豚、山羊、鶏がそこらじゅうを歩き回っている。

確かに、一般家庭に住んでみると当たり前にシャワーでお湯は使えないし、洗濯器も電子レンジも、冷蔵庫すらない家庭もたくさんある。
ただそれも、ある程度の我慢と工夫さえすれば必要ないもののような気もする。

日本とトンガは環境の違いもあるので、こっちの生活をそっくりそのまま持ち帰ることは不可能だし、無駄なことも多い。
ただ、自給自足を元とした生活のメリットとデメリットを、自分の中で改めて感じることができたと思う。

2011/1/20

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トンガ -13日目-


村の幼い子供たちは、裸足でそこら中を駆け回る。
珊瑚のビーチであっても砂利道であっても、そんなことお構いなしに。
落ちてる物を拾っては豚に投げつけたり、ナイフをやたらに振り回したり。
だから、肘や膝の擦り傷は当たり前のこと、足の裏が傷だらけの子もいれば、腕や手にたくさんの傷がある子もいる。

人それぞれ価値観は違うものだろうが、僕の価値観の中で、子供とはそういうものであってほしいと思う。

傷だらけであってほしいというわけではなく、少しくらいケガしようが好奇心旺盛に大地を自由に走り回ってほしいという意味で。

子供の行動を必要最低限制することは親の責任だろうが、日本ではだいたいそれが過保護なことの方が多い気がする。

例えば、東京の三軒茶屋に住んでいた時の話。

近所にあった幼稚園では、子供たちを連れて園外を散歩する際、子供たちを7人ほどまとめてカゴ(体育館のバスケットボール入れみたいなの)に入れて、幼稚園の外を毎日ぐるっと一周していた。

その背景には様々な理由があるのだろうが、子供をそういう形で守らなければならない社会が日本に存在するのも事実。

それは、これから親になるであろう僕たちの世代が見直すべきものの一つなのかもしれない。

2011/1/21

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トンガ -15日目-


今日は日曜日。
全くやることがないので、賛美歌をきくために朝から教会へ。

もちろん多くのトンガ人が聖書に耳を傾けるために教会に足を運ぶのだろうが、ただ賛美歌を歌うためだけにきてる人もいるんじゃないかと思うくらいに熱のこもった大合唱。

単なる一般人の僕が判断する限りだが、皆すごくきれいな歌声だと思う。
けどそれ以上にすごいと感じるのは、僕の小さな体では決して出せないであろう圧倒的なトンガ人の声量。
たいがいのトンガ人はでかい体格をしているが、それにともなって声もでかい。

この国にきてからずっと思っていたことなのだが、トンガの教会にはそれぞれに独特の存在感がある。
周りにある民家の造りが質素であり、村の中にこれといって目立つ建物が他にないというのも、その理由の一つなのだろう。

2011/1/23

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トンガ -17日目-


この日は、トンガにハリケーンが。
そんなに大きな台風ではなかったけど。

村の民家では、ハリケーンがくると事前にわかっておきながら、わざわざ大雨強風の中、家の補強作業が行われる。

窓の外側から雨戸代わりに、金属性の薄い板を釘と金槌で打ちつける。
大雨の日は、フィジーの村でもそれと同じような感じだったけど。

そして、その大雨強風の中、ロトゥのいとこのフェフェタがラグビー姿で家に入ってきた。
だから、まさかと思って、

「ハリケーンの中、ラグビー?」
「もちろん、ラグビー。トンガ人は雨の中でラグビーするのが好きなんだ。」
「まぁ、浅い水たまりに飛び込んで滑ったりできるしね。けど、わざわざ台風の日にやらなくても…」

宿のおじさんベンもそうだったが、基本的にトンガの人は雨が好きだ。
そういうわけで、わざわざハリケーン到来後の大雨の中、ずぶぬれになりながら家の補強作業に取りかかるのだろう。

防水ではないデジカメを平気で水中で使ってるような人たちだから、雨に濡れたら嫌なモノなどそれほどないのだろうし。
雨嫌いの僕としては、その感覚が少しうらやましい気もする。

当然、電気は停電で使えなくなるので、この日はロウソクの夜。

一つロトゥ家に聞きたいことがあったから、改めて聞いてみた。

「日本に七年間住んで、日本での生活にはあって今いるトンガでの生活にはないモノってたくさんあると思うんだけど、もし、日本のモノを一つトンガに持ってこれるとしたら何がいい?例えば、電子レンジでもいいし、ホットシャワーでもいいし、きれいなトイレでもいいし。コンビニでもいいし、食べ物でも何でもいいから一つ。」
「ん〜そうだなぁ、何もいらないなぁ。奥さんと子供がいればそれでいい。それが一番いい。」
「そっか。まぁ、その言葉を聞きたかったから聞いてみたんだけど。」

日本には日本の幸せ、ここにはここの幸せ。

彼らと生活を共にしていると、心から支えあえるモノさえあれば人は十分に幸せを感じられるものなのではないかと、どうしても僕は思ってしまう。
もちろん、生きるのに必要な量の食べ物があってこそのことだが。

全ての人がそうであるわけではないが、日本の生活に関して言えば、忙しすぎる生活がたまにそれを忘れさせてしまう。

便利さの追求と幸せの追求は、全く別の問題。
たまに同じ時もあるが、夢の実現もたぶん別の問題。

モノがなかろうが、モノであふれようが、情報が少ない社会を生きようが、情報で飽和した社会を生きようが、夢を追いかけようが、夢をあきらめようが、将来行き着く幸せの場所だけは見失ってはいけない気がする。

この村にある、素朴で当たり前の確かな幸せ。
それも、一つのわかりやすい幸せのカタチだと、僕は思う。

ただ、忘れてはいけない。
十分な食べ物も住む環境さえもろくにないような人たちがたくさんいるというのも、世の中にある目をつぶってはいけない事実。

2011/1/25

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トンガ -20日目-


トンガでも、当たり前に星はきれいだ。
旅先で出会う様々な感動をいろんな人に伝えたいのだけれど、おそらく僕には無理だろう。
体の全身系を使って感じるリアルな体験には、決して勝るものはないと思うから。

信じたくはないが、写真で撮れないものってたくさん。
映像でとらえきれないものってたくさん。
けど、心に刻めないものを僕はまだ知らない。

それでも写真の可能性と映像の可能性、僕はそれらを信じたいと思うけど。

世の中には、僕が知りたいことがたくさん、僕たちが知るべきことがたくさん。

心には刻めるけど、写真には撮れないもの。
今、僕はただそれを感じたい。

だから、今はこうして世界のどこかで道草を。
僕が思うに、これは食べ過ぎてはいけない道草ではない気がする。

2011/1/28

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トンガ -22日目-

他の村でもそうかもしれないが、この村では月に一度だけ、教会がクラブに変わる。

宗派の違いもあり、誰でも彼でも参加できるわけではないが、ちびっ子から大人までたくさんの人々が夜の教会に集う。

もちろん教会で行っているので、皆フォーマルな格好だ。
小さな男の子はシャツにネクタイ、小さな女の子もきれいなドレスで着飾って。

村中に聞こえるほどの大音量の音楽が響きわたる同じ空間の中を、3歳そこらの子供から、50歳そこらのおじさんおばさんまでが一緒に踊る。
曲調によって踊る年齢層は、多少変わるようでしたが。

ただそれは、今まで僕が想像したことすらない光景だったので、僕は目を離さずにじっとそれを見続けることしかできなかった。

これも一つの、カルチャーショックというやつか。

なんでも飽きっぽい性格の僕。
けど、旅には一生飽きることがないだろう。

自分の気持ち次第で時には狭く感じてしまう世界だけど、この世界は広すぎるくらいに広い。

2011/1/30

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トンガ -23日目-

先日、日中のあまりの暑さにネープの部分を適当にカット。
そして、最近気がついたのだけれど、ハサミが一本少し錆びていた。
以前、トンガ人の髪を海辺できっていたせいだろう。

2011/2/1

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トンガ -24日目-


まだまだ未熟ながら、オセアニア諸国の青空の下で現地人・日本人の髪をきりながらふらふらと。
経験のため、練習のため、コミュニケーションのため。

カットのお礼として、家に泊めてくれたり、ご飯に招待してくれたり、ドライブに連れていってくれたり、お弁当を作って持ってきてくれたり。途上国といえど、お金を払う人も。

その人それぞれが思う形でその技術に対する対価を払う。

その人が満足しただけの分、お金持ちはお金持ちなりの、そうでない人はそうでない人なりの。
それはそれで、僕にとっては納得しやすいスタイルだ。

いつか自給自足の生活を始めたとしたら、そのスタイルで僕は誰かの髪をきるのだろう。
その時までに、僕は美容師として一人前になれればいい。

それにしても、フィジアン/トンガンのくりんくりんのくせっ毛をドライの状態でブローなしにカットするのは、今の僕にとって難しすぎる。

カット中に度々迷宮入りしている、最近の僕です。

2011/2/2

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トンガ -25日目-


今日は、トンガンハイスクールの運動会が街のスタジアムであったので、社会勉強がてら見学にいってみた。
その学校の先生の髪を以前カットしたことがあったのでその付き添いで。

競技自体は走る・投げる・跳ぶなど、日本の小学校などでやる陸上記録会のような感じ。

ただ、リレー中に他の選手にタックルして転ばせたり、バトンを投げたり、野良犬がレーンに乱入したりするのは、日本ではあまりみられないと思うが。

そして、急に音楽が鳴り出しては生徒が皆一斉に踊り出したり、閉会式の途中から同グラウンド場でラグビーチームが練習を始めちゃったり、ところどころトンガらしい部分が。

とてもおもしろい経験だった。

2011/2/3

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トンガ -26日目-


18歳の時から今まで、時々思っていた一つの疑問として。

朝日が昇る頃に目を覚まして、おなかが空いたらご飯を食べて、日が沈んで眠くなった頃に眠る。
空を見上げたら、ただ青空か星空があって、人々と語らうための十分な時間もあって。

ただそれだけの生活で僕は満足できないのだろうか。
僕たちの欲望にはおそらく終わりがないから、それが実践できるのであれば、それはそれで幸せなのではないか。
何かと便利な日本の社会で生まれ育った僕は、何か大切な価値観を見落としていないだろうか。

それを僕は頭の中のイメージとして終わらせるのではなく、直接得た体験として感じたかった。
だから、今さらこうして、ほぼ自給自足の素朴な生活をしている国の小さな村で、村人たちと同じようにただ緩やかな時間を共に過ごしているのかもしれない。

確かに、日本には住みやすい生活環境もあれば、安全な社会規律もある。
それは決して悪いことじゃない。
人間誰しも、可能であればそれを望むのだろうとも思う。

都会にいれば、野菜を育てなくても家畜を育てなくても、スーパーやコンビニに行けば食べ物が何でも手にはいるし、洗濯も全て手洗いでする必要はないし、ましてや食事の度に火をおこす必要もない。

ただその便利さは、知らないうちに僕たちからたくさんのことを忘れさせている気がする。

発展すること自体、何も悪いことではないと思う。
それが僕たちから何か大切なものを損なわせるような結果にならなければ。

かつて自然ともっと共存していた頃にあった質素な生活の中にある苦労を、先進国の都会に住む人間はたまに思い出すべきだと思う。
その上で、向かうべき発展の方向に向かえばいい。

当たり前だと思っていること、そのほとんどは決して当たり前のことではない。

2011/2/4

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トンガ -29日目-


訪れるには一週間、過ごすには二週間、暮らすには一ヶ月。
僕にとってのトンガは、それくらいがちょうどいい。
正直、滞在後半、ご飯を食べるのが辛いでしたが。

今週末には、トンガよりもさらに小さな国ツバルにいく。

ツバルといえば、気候変動と海面上昇と先進国の関係性に関して、現時点、様々な意見がある。
ただそれらの現象がどう結びつこうが、先進国が海面上昇に影響を与えていようが、注目するべきことはそういうことではないと思う。
僕はそこの生活を自分の目で見ずして、そのことに対して何か意見をする人間と同じにはなりたくない。
まずは、ただ一人の人間としてそこに住む人々と可能な限り同じ時間を共に生きたいだけ。

その上で自分にできることがありそうであれば、それを思うがままに実行すればいい。

log.-Tuvalu-

2011/2/7

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